自覚し、思い出すということ「TAR」

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(ネタバレあり!!!)

 

「TAR」

 

劇場で見逃し配信で鑑賞した本作、ブッ刺さりました。

 

事前情報では難解な作品であるという噂が聞こえてきたのですが、お話自体は「天才の栄光・挫折・再生」というシンプルな流れだったと思います。

 

とはいえ、そこここに差し込まれるクラシックネタやトリッキーな構成による伏線などは初見だけでは把握しきれず、町山さんの解説を聞いて2回観ました。

 

とにかくもう、ケイト・ブランシェットが凄いに尽きるんですが…とにかくケイト・ブランシェットが凄かったです…。

 

リディア・ターという人間が実際に存在するとしか思えないというか。全編出づっぱりでしたが、彼女を観ているだけでまず眼福でした。

性差を超越したドチャクソかっこいいオーラの上にバッチリオーダーメイドで仕上げたシャツとジャケットを纏いながら、各賞総なめの天才な上になんかユーモアもあるっていう、そりゃ世界はメロメロになりますわ。

というパブリックイメージとは裏腹に、あれ?この人ちょっとどうなん?となる序盤の講義シーンがまず良かったです。

ジュリアードで学ぶ若い青年の持論を、膨大な知識と話術で完膚なきまでやり込めていくあの時間。胃がギューってなりましたよ。あそこ、わかりやすく罵倒したり手出したりしてないけど、完全に彼を潰す気マンマンで指導者としては最悪ですよ…。ほんと、もうやめたげてっていう…。

 

そして、オルガの登場、クリスタの自殺によってどんどんターの人生はガタついてくるわけですが。

冒頭からクリスタの影はずっとチラついていて、全貌は明示されないけれど何となく彼女と何があったかは察せられるんですね。一時期は恋人のような関係にあったが、おそらくターが一方的に彼女を捨てて、しかも将来の妨害もしていた。(この時すでにシャロンと夫婦関係にあったのか、もしくはシャロンに乗り換えたのかは分からないがいずれにせよ最低…)

 

1人の人間の人生を文字通り潰したのに、オルガという若く可愛く才能に溢れた女性にまたゾッコンになっちゃって、私情にまみれた決定を下していく様が本当に低俗でして。

 

ケイト・ブランシェットの何が凄いって、あんなにカッコよく美しくある人が、ギャルの出現によってジャンルとしての「キモいオヤジ」に成り下がってしまえる所。

まじ、オルガにいいように扱われるターがただのキモオヤジでめっちゃ哀れでしたね…。

 

そんなこんなで、ターの悪行がSNSで拡散されたり(悪意によって編集された動画ではあったけど)、クリスタの遺族から告発されたり、本番の舞台で代理指揮者ぶん殴ったりして(ここの表情すごかったっすね)、全てを失った彼女は実家に戻るわけですが、ここでまた我々は驚かされる。

クラシックやる人って、ある程度裕福な家出身な事が多いと思いますが、ターの実家、超普通。町山さんの解説によると、スタッテン島という都市部で働くブルーカラーが多く住むベッドタウンらしく。鉢合わせした兄も労働者階級だろうし、母親が聴覚障害者という設定もあったそうで。

そんなクラシックはもとより音楽とは縁遠い家庭で、たまたま観たバーンスタインの子供向け音楽番組によってターはこの道を目指した人なんですよね。

それを思うとターはどれだけ努力したのだろうかと。天才的な才能があったとしても、その過程では差別もされただろうし、金銭的な苦労もあったでしょう。それでも歯を食いしばって、名前もリンダからリディアに変え、戦略的に自分をプロデュースしてきた人間なんですよね。ただ立場が上がっていって権力に胡座をかいた時、濁って鈍ってしまった。

 

バーンスタインのビデオを観て、自分の初期衝動を思い出したターはその後フィリピンに行くのですが(もう欧米で彼女を使ってくれる場所はないので)、ここで自分がこれまでやらかしてきた若者への搾取を自覚し、嘔吐するシーンがあり。これね、本当に自覚してもらえて良かった。(ここもさ、普通にマッサージ行きたいって言ったら間髪入れずにあの風俗店紹介されるって、ターの悪癖は全然フィリピンまで届いてるってことですよね)

 

大ラス、ターの指揮によるコンサートが始まった所で幕なのですが、私ここ号泣でした。

 

いつものように、集中して全力で指揮台に向かうター。コンマスと握手をし、キリッとお辞儀をするとヘッドフォンを渡されオケの後ろにスクリーンが降りてくる。

おや?と思っていると、音楽と共にいざ冒険へみたいなナレーションが入り、客席はトンチキな格好の人で埋まっている。幕。

 

ここ、は?みたいな観客が多かったようですが、幸い多少オタク文化に触れていた自分は、これはレイヤーさん!つまりゲーム音楽のコンサートか!と。

これ、凄く良い終わり方だと思っていて。めっちゃ想像で申し訳ないんですが、ガチクラシック勢からすると、「ゲーム音楽の指揮www」みたいな感じで、ともするとター落ちぶれてたって思われそうですが(すんません、想像ですよ?)、違うんだと!こういったキッカケで音楽にオーケストラにクラシックに興味持つことは十分にあるわけです。そこから若い才能が出てくることだってあるわけです。これがクラシックの間口を広げ、後進を育てることなのです!

 

ターは天才でありながら、権力に溺れた人ですが、音楽を愛する気持ちだけは残せた。だからプライドも社会的評価も捨てて、純粋な「音楽を好きという気持ち」に立ち返り、真摯に向き合い、また再生を目指すところでこの話は終われたんだなと思います。(モンハンのナレーションもピッタリでしたね)

 

とはいえ、じゃあターが何もかも忘れてスッキリ再出発というわけにはいかないだろうというか、実際人が亡くなってるので、それは一生ついてまわると思うし、彼女が背負っていくべき事だと思います。遺族は許さないでしょうし。

ただ今作での救いは、彼女が自分の行いを自覚出来たことかなと。 

 

スケールはだいぶ違いますが、私の身近にも似たような人がいて。能力があって、地位も名声も得たけど、それゆえ奢って周りの人間を消耗品のように扱い、信頼を失い、しかも無自覚という。あーこれはキツいなぁと感じました。

 

もう1つ、この作品では作家本人の人間性と作品自体を分けて考えるべきか否かという問題があると思うのですが、これは私もまだ答えが出ておらず…。ただ、例えば映画でいうと、凄く楽しんで観た作品の監督が実はクズだったみたいなニュースを聞くと再度観る気にはならないし、今後も新作を観ようとは思えないという感じですかね。これ、ほんと辛い。好きな作品だと尚更辛い…。

 

人間、欠点は誰しもあるし、常に品行方正であれとは思わないですが、やはり周りの人間には最低限敬意を持って接して頂きたいですな…。

 

というわけで、「TAR」は本当に素晴らしい作品でした!ケイト・ブランシェット、そしてトッド・フィールド万歳!!!